猫の額より尚狭い

適当に書き散らしていけたらいいと思います

劇場版ポケットモンスターココが良すぎて存在しない息子を腹を痛めて生んだような気がしていた女の話

お久しぶりですまいくです。

 

放置してたブログを無職になったついでに再開してみることにしました。

まあ大したことも書けないし更新頻度はのんびり目ですが、気が向いたらお付き合いいただければと思います。

 

さて表題の劇場版ポケットモンスター『ココ』ですが、『キミにきめた!(2017)』、『みんなの物語(2018)』の流れをくむ新機軸の作品です(タイトルロゴの形状が同一)。

ミュウツーの逆襲(1998)』から『ボルケニオンと機巧のマギアナ(2016)』までの従来映画との大きな違いは、アニメシリーズの展開から完全に独立した物語であること。

登場するメインキャラクターをサトシとピカチュウに絞り、よりストーリー性を重視した作品群となっています。

 

この大きな改変の意図は、『ポケモン』というコンテンツ自体のファン層が高年齢化していることもあって、より幅広い層を取り込むためだと思われます。

無印アニメ序盤の物語を再構成した『キミにきめた!』や、第一作目の3DCGリメイクである『ミュウツーの逆襲EVOLUTION』などは、一度はポケモンから離れた大人でも再び興味を持つきっかけとなる作品でしょう。

 

新規層の取り込みを重視する一方で、昔からのポケモンアニメファンの間では、アニメシリーズのキャラクターが映画に登場しないことを嘆く声も多々見受けられます(あくまで私の周りですが)。

『サン・ムーン』や現在放送中の『ポケットモンスター(通称新無印)』がアニメとしてすごく出来がいいこともあって、リーリエなどポケモンスクールのメンバーやゴウが登場しないのは確かに私としても非常に残念ではありますが…。アニメにはアニメの、映画には映画の良さがありますし、味付けが違う料理を二種類楽しめると考えればそれも結構楽しいものです。

 

 

さて、前置きが長くなりましたがここから本題の『ココ』の話です(なんか駄洒落っぽくなりましたが)(今更ですがネタバレ注意です)。

 

今回の『ココ』は、前述した2作品に比べてかなり“ポケモン映画”色の強い映画に感じました。

それというのも中盤で登場する動力源不明のクソデカマシーン。

やっぱりポケモン映画ってのは謎の力で浮遊する超技術マシーンと、それに乗る悪の科学者(cv山寺宏一)がいないと始まらないよな!という気分にさせられました。まさに実家のような安心感。

 

しかし今回の悪役・ゼッド博士はポケモン映画に出てくる悪役としてはかなり最悪の部類に入りますね。研究のために人殺しまでするタイプの悪役って、他にあんまりいないと思うんですけどどうなんでしょうか?(実はまだ未視聴作品があるので今度アマプラで全部履修します)

劇中でポケモンを使っている描写がなく、大抵の悪事をメカで行っていたのも、そのあたりの配慮があったような気がします(人殺しにゲットされるポケモンはかわいそうなので…)。

 

あとどうでもいいですが、右を見ても左を見てもポケモンと人間が共存するのが当前というあの世界の価値観の中で、「ポケモンごとき」と自信をもって言い張れるゼッド博士の感性相当貴重だなと思いました…。

あの世界の殺人罪の刑期がどれくらいかわかりませんが(自然破壊とポケモン虐待の方が罪重そう)、出所したら今度はその感性を生かして世のため人のために生きてほしいと願うばかりです。

 

ゼッド博士の話はこれくらいにして、肝心のストーリーの話。

公開前から『大人だから泣けるポケモン映画』というキャッチコピーを打ち出してましたが、噂に違わぬ感動作でしたね…。

なんなら冒頭の『掟の歌』の時点でちょっと涙腺緩んでました。めっちゃいい歌だなと思って…。

今回の涙腺崩壊要因の半分は岡崎体育のせいですよ。だってずるいもん。みんないい歌なんだもん…。

岡崎体育のことをネタ曲ばっか作ってる小太りのおっさんだとか思ってる人がいたら『ココ』のアルバム聞いた方がいいですよ。マジで才能の塊かこの人…ってなります。

サンムーンの曲もみんなどれもいい曲なんですよね…ていうかポケモンの曲って名曲しかない。特に最近のはポケモン世代ど真ん中のアーティストが手掛けているからリスペクトが半端なくて新無印のOPである『1・2・3』の冒頭でゲームボーイの「ピコーン」という起動音がなる演出とか鳥肌もので、あとポケモンの曲と言っていいのかわかりませんが語らないわけにはいかない曲がBUMP OF CHICKENの『アカシア』。これも名曲という言葉では言い表せない歴史的な一曲なので今度『アカシア』については別の記事でゆっくり語らせていただきたいと思います(ここまで息継ぎなし)。

 

特にトータス松本さんの歌う『ふしぎなふしぎな生きもの』は、まさに親の本音を歌い上げた名曲。(ちなみに余談ですがトータス松本さんは現在放送中のNHK連続テレビ小説『おちょやん』でヒロインを借金のカタに売り飛ばす最悪の父親を演じているので、この曲を聴きながら朝ドラを見ると最高の父親と最悪の父親の寒暖差で整って健康になれます)

 

まずタイトルがいいですよね。「ふしぎなふしぎな生きもの」というフレーズは、劇場版の冒頭で必ず語られる、ポケモンについての説明です。

そのフレーズを自分の血を分けた子供に対して使うのが心にくいじゃありませんか。

ポケモンも子供も、自分とは全く違うふしぎなふしぎな生きものだけど、その生きもののためならどんなことでもできるという深い愛情を感じますよね…。

 

私もこの曲を劇場で聞いた時、息子との楽しかった思い出がありありと思い出されました。

お腹の中にいた時から、元気すぎて寝かせてくれなかった息子。

産まれるときは難産で、半日近くかかってようやく出会うことができました。

ワンオペ育児で心身ともに疲れ果てても、子供の寝顔だけが唯一の癒しでした。

家の中はいつしか子供のおもちゃでいっぱいになって、新築の家もどんどん傷だらけになっていって。

幼稚園に馴染めるか不安だったけど、たった1日でたくさんのお友達ができて驚きました。

小学校では忘れ物が多いといつも叱ってばかりでしたね。

中学生になるとあまり口をきいてくれなくなったけど、一度だけ誕生日にお手紙を送ってくれたね。今でも大切にとってあります。

高校生になったあなたはこんなに大きくなって、私の身長をすっかり追い抜いてしまって…。

そしてこの春から、大学生になる息子へ。

 

この18年間、楽しいことも大変なことも、いろいろなことがあったけれど幸せでした。

産まれてきてくれてありがとう。

 

 

ただ、1つだけ言わせてもらえるなら…。

 

 

 

私、子供いないんですよね…。

 

 

おしまい

 

(再開1発目のブログが人殺しのおっさんと小太りのおっさんと非実在一親等の話で終わっていいのか???)